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願徳寺 雰囲気イメージ
Gantokuji

願徳寺について

あなたの人生とともにある
かかりつけ寺でありたい。

新潟県の寺院住職だった
法隆法言(ほうりゅうほうげん)が、
東京でもより多くの方へ
念仏の教えを広めたいと辻説法に心血を注ぎ、
大正十(1921)年に現在の北区役所のある地に
説教所を開設。
あれから百年、法言が伝えた
阿弥陀如来の教えのままに、
ご門徒はもちろん、
はじめましての方、地域の方々など
いただいたつながりにていねいに、
親身にお応えしたいと心がけています。
ふとしたときに、思いだし、
会いに来ていただけるように。
どのようなときも、人生とともにある
かかりつけ寺としてのあり方を見つめつづけます。

願徳寺 雰囲気イメージ
住職 法隆 誠幸

住職 法隆誠幸

何より大切にしていること、それは丁寧に誠実に、日々ご縁ある方々と向き合うこと。ご門徒はもちろん、これまでお寺にご縁のなかった方々にも、気軽に足を運んでいただける“あなたのかかりつけ寺”を目指しています。
2010年(平成22年)より願徳寺第四代住職に就任。

住職 法隆 誠幸

開基住職 法隆法言

新潟の寺院住職であった法言は、より多くの人に浄土真宗の教えを広めるという強い意志を持ち、明治維新により日本の首都となった東京の地を踏みます。
時代社会が激しく変化していく中、“真のよりどころ”を希求する人びとの声に応えようと、小さな説教所を開き、それはやがて多くの人が集う寺へと発展していきます。法言は、すべての人に開かれた救いの道、「南無阿弥陀仏」のみ教えに生き、願徳寺の礎を作り上げた不撓不屈の人でした。混沌とした社会の片隅に絶えることのない「光」を灯し、1938年(昭和13年)2月7日、57歳の生涯を閉じたのです。

宗旨

名 称
宗教法人 願徳寺
宗 旨
浄土真宗
宗 派
真宗大谷派(お東)
本 尊
南無阿弥陀仏(阿弥陀如来立像)
宗 祖
親鸞聖人 1173年~1262年
正依の経典正依の
経 典
仏説無量寿経(大経)
仏説観無量寿経(観経)
仏説阿弥陀経(小経)
宗祖の主著宗祖の
主 著
顕浄土真実教行証文類(教行信証)
本 山
真宗本廟(京都・東本願寺)
京都市下京区烏丸通七条上る
常葉町754番地
願徳寺 雰囲気イメージ

浄土真宗の教え

生きとし生きるものすべてをお救いくださる仏さまが
阿弥陀さま。
その願い(本願)を信じ、
み教えとしてお説きくださったのが
親鸞聖人(しんらんしょうにん)です。

欲望に左右され、迷い、悩む私たち一人ひとりに
「あなたのままで大丈夫」
「いつもそばにいる」とよびかける阿弥陀さまからの声が
「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」です。

一人ではどうしようもなく不安なときも
「あなたを救うから安心して」と声がけされ、
見守っていただいていることに気づけたら、
生きていく大きな力になるでしょう。

生まれてよかったと、
心からの幸せを感じられるように。

人々の毎日の暮らし、人生とともにあるみ教えが
浄土真宗です。

施設紹介

すべての施設は、願徳寺の門徒・信徒および
願徳寺が儀式を行う場合に限り
どなたでもご利用いただけます。

願徳寺 エントランス

エントランス

大勢の方をお出迎えできるよう、広々としたエントランスを設けています。

願徳寺 本堂

本堂

阿弥陀如来を安置する内陣と50畳を超える外陣からなる本堂は落ち着きある雰囲気です。

願徳寺 ホール

ホール

家族葬から小規模な葬儀に最適です。椅子席で40名様まで収容可能。お身体のご安置・お預かりにも対応しております。

願徳寺 客殿

客殿

葬儀・法事の控室などにご利用いただいております。椅子席で40名様まで収容可能。

願徳寺 応接間

応接間

ご相談ごとや打合せを行う部屋となっております。

願徳寺 墓苑

墓苑

北区・赤羽にございます。緑多く自然に溢れた明るい雰囲気で、お盆やお彼岸の時期にはたくさんの方がお参りに訪れます。

願徳寺 永代供養付 総墓

永代供養付 総墓

願徳寺にご縁を結ばれたすべての方のための後継者不要のお墓です。「おひとりさま」から「ご家族」まで幅広くご利用いただけます。

願徳寺 永代供養付 合祀墓

永代供養付 合祀墓

後継者・年間冥加金不要の合祀墓です。遺骨引き取りサービスが付いているので、「おひとりさま」でも安心です。

願徳寺 永代供養付 一般墓

永代供養付 一般墓

限定数ご用意しております。後継者がいなくなった際には、追加費用なく、墓じまい・永代供養まですべて願徳寺が行います。

御本尊の紹介

願徳寺 御本尊

本堂正面中央に
ご安置されている御本尊
(江戸時代中期)

願徳寺 御本尊

ホールに
安置されている御本尊
(平安時代後期)

願徳寺にご安置されている2体の阿弥陀如来立像は平安・江戸に作成されたとても歴史のあるものです。
古来より長い間、多くの方がその前で手を合わせ、教えに遇われた姿をその2体は見てきました。
過去現在未来と三世にわたり、悩み苦しむすべてのものを教え導いていこうと、わたしたちにはたらきかけてくださるお姿です。

願徳寺 室内イメージ

願徳寺のあゆみ

明治40年
開基住職・法隆法言、新潟県より
東京・本郷に上京。
大正4年
本郷より北区王子本町(王子神社前)に移転。
説教所開設。
大正10年
現在の北区役所所在に移転。
本格的な布教活動開始。
大正14年
本堂庫裏建設(棟梁・秋葉寅吉氏の寄付)。
並行して赤羽に墓苑開設。
昭和13年
法隆一英、第二代住職拝命。
昭和15年
説教所から真宗大谷派(東)願徳寺
として寺号公称が認可。
昭和20年
第二次世界大戦の戦災により本堂・庫裏全焼失。
昭和20~23年
寺院活動全面休止。
昭和24年
自治体からの戦前寺領の代替地提案により、
現在地に再移転。
仮本堂・庫裏建設。
昭和36年
東京都市計画事業施行のため、
赤羽墓苑を供出し、現在地に移転・改葬。
昭和40年
本堂建設。後、客殿・庫裏増改築。
昭和60~63年
東京都市計画道路事業補助線街路第84号線
拡張のため、東京都に寺院境内地一部を供出。
そのため再度、本堂客殿増改築。
平成元年
法隆英明、第三代住職拝命。
平成2年
本堂落成慶讃法要厳修。
平成8年
赤羽墓苑整備工事。総墓『俱会一処』改修。
平成20年
赤羽墓苑内に永代供養付合祀墓『無量塔』建立。
平成22年
法隆誠幸、第四代住職拝命。
令和3年
東京の地で開教100年。